20代30代の1990年代は
カメラ業界にドップリ浸かることで
私の土台づくりに大きな影響を与えてくれた
取引先のカメラメーカーの偉人たちを
敢えて3名上げさせてもらうと
やはり一番手はSIGMAの山木専務だ
一代で世界中に支社を広げていった
同族企業の兄弟経営の次男坊という
目に見える見本だった
世界で戦うビジネスマンのバイタリティさ
同族の365日24時間戦う姿勢に
身内と自身に一切の甘さはなく
ファミリーへの忠誠心が格好良かった
20代の私にまで友達というか
身内のように接してくれ
世界へ目を向けさせ
世界へ連れ出してくれ
世界を感じさせてくれた大恩人です
二番手はSONY田中支社長
言わずと知れたSONYの頭脳
戦略家として芽生えさせてくれた大恩人
30歳の私に友達のように接してくれ
知的好奇心を擽り
勉強すること
読書すること
論理的思考へと導いてくれた
ゴルフもよくやった
彼が東南アジアの社長になった時
私もコンサルタントとして二足の草鞋を履き始めた時
外国人向け佐藤勝人セミナーをSONYが開催してくれた
35歳で初の海外セミナーは
大きな自信を与えてくれた
三番手はCANON山崎所長
カメラ写真業の面白さ
お客さんや写真家との交流
専門店としての存在意義
芸術という文化的要素感じさせてくれ
生活品であり嗜好品であり
カメラ写真店経営の理想を
一緒に追求してくれた
その中でも
フォトコンテストや写真セミナー
写真展に撮影会や撮影旅行と
カメラ販売しか知らなかった20代の私に
一から教えてくれ
一緒にやってくれた
サトーカメラの原型を
一緒に作ってくれた大恩人
3人に共通して言えることは
十も二十も歳の離れた
スゴく偉い人なのに
私に対して友達のように接してくれたこと
私も威張らず腐らず
素直に直ぐヤルから
若いのに面白い奴だと思ってくれたはず
私より優秀でしかも経験値がある人が
私に期待してくれている
その偉い人に褒めてもらいたくて
頑張ったのではない
彼らは私に「可能性が見える」から
期待してくれるわけで
その「優秀な彼らにしか見えない私の可能性」
その可能性は自分には見えていないが
その可能性を持っているのは自分
その自分を裏切らないということだ
だから私は彼らの期待に答えるために頑張った
社会人として大切なことは
みんなカメラメーカーのお偉いさんに教わった